野球選手の不祥事が度々報じられています。男女間のトラブルから、金銭問題、賭博問題、薬物問題、性加害など、元選手も含めると、かなりの数が報じられてきました。
野球もそもそもは興行であったため反社勢力とのお付き合いが大昔は有ったとしても、今は許される話ではありません。
芸能界やプロ野球を取り巻く環境や、世間の眼は激変している中で、球団や選手はどのような関係を保てば良いのでしょうか。
日米の球団の責任
プロ野球選手は個々に球団と契約を結んでおり、一般の会社員とは違います。MLBと違い日本のプロ野球は統一契約書で契約することが殆どで、アメリカのようにオーダーメイドの契約書を取り交わすことがありません。考え方の違いもあり、アメリカと日本を単純に比較することはできないでしょう。
米国スポーツの常識
米国スポーツのNFLで言えば、選手の教育はチームには全く責任がないと言っていいでしょう。NFLではスター選手がドメスティックバイオレンスで訴えられたり、セクハラ・パワハラで訴えられることは珍しいことではなく、そのことについて球団の管理責任を問われることはまずありません。
有名な事件では殺人容疑で訴えられた元スーパースターもいるし、ヘッドコーチがハラスメントで訴えられたこともありました。ドラフト1位の選手が酒酔い運転で死亡事故を起こす事件も数年前に報道されています。こういったケースではチームは解雇などの手続きを粛々と行うのみで、チームの管理責任などが問われることはまずありません。
アメリカと日本の教師の責任
アメリカの教師と日本の教師では、かなり責任の範囲が違います。
日本では放課後に繁華街で遊んでいる生徒を見回ったりする風習がありましたが、アメリカでは放課後の行動について教師は一切責任を持ちません。日本のように躾の部分まで学校に求めることはなく、本人と保護者の責任が殆です。学校によっては宗教や人種が多様化されているため、学校でそこまで受け持つのは不可能です。
以前は日本の教師に多くの部分が任され、体罰なども許されていた時代では、ある程度の責任を持って教育することも不可能ではありませんでした。
しかし、最近は家庭ごとに教育方針が違い、保護者も明確な教育方針を持っている場合があります。私立の場合は学校の教育方針を明確化しており、学校側と保護者との相互理解が容易になります。しかし、公立学校の場合はそこまで教師に責任をもたせるのは、無理だと思います。
球団の責任
選手が不祥事を起こした場合、チームが教育不足としてやり玉に挙げられることがあります。”元巨人軍”などと報道するメディアも数多く、必要以上にセンセーショナルに報道することで商売をしようとする姿勢には、嫌悪感しか抱くことができません。
球団は本来であれば、選手のプライベートまで責任を持つ必要がないと思いますが、日本では割り切ることができないようです。
親会社の株主総会で選手のスキャンダルなどが取り沙汰されるご時世ですので、球団も無関係ではいられないということでしょう。
アメリカの場合はスキャンダルが持ち上がっても、有罪が確定するまでは処分は殆ありません。有罪が確定した時にリーグから一定期間の出場停止などが申し渡され、その処分に基づいてチームは契約を破棄するなど契約書に基づいて処分をするだけだと思います。
スター選手のスキャンダルについてある程度は報じられますが、日本のように事細かに大手メディアが報じることは無いと思います。
選手と球団との関係を統一契約書にも事細かに盛り込むべき
日本のプロ野球の統一契約書は、A4でたったの5枚です。
明らかに内容が薄く、不備も多いと思います。
アメリカと違い新人選手が契約内容について事細かに詰めることはないので、これで十分と考える向きもあるかと思います。
しかし、様々なことに対してケースバイケースで考えることを前提とした、内容の薄い契約書は、後々のトラブルのもとにしかなりません。
物事を事細かに決めることに、裁量の自由さが失われる危惧を主張する方もいらっしゃいますが、多くの場合は自由裁量が時間の浪費を招き、不正の温床になる可能性が強まります。
統一契約書は現実に即して、見做すべきだと思います。
日米を単純に比較することはできませんが、良いところは積極的に見習うべきだと思います。未だに球団名に親会社の名前を冠するのは、発展途上のマーケットが行うことでしょう。海外から見れば、後進国であることの証左であり、日本のプロ野球の地位を落としていると思います。WBCで優勝国となり、経済的にも優位にありながら、いつまでも米国との差が色々な意味で縮まらないのは、こういったところにあるのではないかと思います。
もう少しスポンサーと球団の関係、球団と選手の関係を現代的なものに見直してほしいと思います。
いつまでも野球が興行の域から抜け出ることができないのは、こういったところにも原因があるのではないでしょうか。