フジテレビが大変なことになっています。ここでフジテレビについてあれこれ意見することはありませんが、一言で言えば外部の目に晒されないために、時代についていけなくなくなってきたということでしょう。
フジテレビの失敗
テレビは時代を先取りしているように見えながら、最も時代に取り残された存在になりつつあると考えていいでしょう。今どき女子アナウンサーを業務外の接待要員に使うことは、時代遅れも甚だしいと言って良いと思います。逆に言えば女子アナウンサーを使うのではなく、女子アナウンサーをスポンサー獲得のための営業職と兼務させれば、一定のコンプライアンスは守られたでしょう。(巷で言われている〇〇接待はそれでも許されることではありませんが。)
ただテレビに出ている可愛い女子アナウンサーを同席させるということが、売りだと言うことであるでしょうから、実現性は乏しいと言わざるを得ません。
30年前ならばお咎めもなかったり、隠蔽できたことが、ネットの普及によって晒されてしまうという現状が、予測できなかったとすれば、それは時代の流れに対する感度が低かったということでしょう。時代の流れを先読みするべきメディアが、旧時代の感覚や成功体験を捨てきれていないという現実は、皮肉な現象ということだけで片付けられることではないでしょう。一般企業はマスメディアの眼を気にして企業改革をしてきたと言えますが、マスメディアを監視する眼がなかったことは、マスメディアにとって不幸な結果になってしまったという結末でしょうか。これはフジテレビの社員だけではなく、テレビ局の組織とそれを監督する立場の組織の問題といって良いと思います。
人を責めるより組織とその組織を取り巻く環境を問題視しなければならないと思います。
総務省の甘さ
この問題が他のテレビ局やメディアに飛び火する可能性は否定できず、監督官庁である総務省にも一定の責任があると言って良いのではないでしょうか?テレビ局には霞が関をも恐れさせる力がある現状は、何らかの修正が必要であり、電波オークションなどの実現や、新聞社によるテレビ局への支配を制限する必要があると思います。
新聞社やテレビ局が力を持ちすぎていたために改革ができなかったとはいえ、今のテレビ局のモラルに欠けた惨状は明確に浮き彫りになっており、総務省にはまず国営放送であるNHKを真っ当で公平な放送局にすることから、手を付けてもらいたいと思います。
いくらNHKといえども企業の自浄努力だけでは、足りない部分が出てきてしまうことはある意味当然と考えます。人間のやることですからね。
高校野球の変革
腰が最も重いと思われた高野連が、NPBの対応の遅さにしびれを切らしたのではないかと思われる提案がされています。7回制やDH制の導入は、時代の流れから取り残されながらも、追随という形で議論されているようです。
しかし、更にそれより遅いのはNPBと言っていいでしょう。
未だにDH制に反対する球団があり、驚かされます。
反対の理由が投手交代の駆け引きであったり、監督の采配の妙味であったりと、ファンのことを置き去りにした議論を展開していることに本当に驚いてしまいます。
日頃から”応援よろしくお願いします”だの、”ファンあってのプロ野球”だのと選手に言わせてる割には、全くファンを無視した意見には違和感しか感じません。
プロ野球球団も時代の流れについていける球団と、変われない球団があるようで、変われない球団には退場していただくしか無いのではないかと思います。
DHに入る一人の選手の年俸が捻出できないようでは、NPBの発展はないでしょう。
メジャーは高卒新人に契約金2億4千万円
ドラフト1位に1億+5千万円の出来高しか出せないNPBは、メジャーの2億4千万に大きく差をつけられてしまいました。NPBで成績を残した選手に大きな契約が提示されるなら仕方がない部分がありますが、入団前の選手にこれだけの差を見せてしまえば、これから有望選手は次々とメジャーに直接行くようになるでしょう。
これだけの惨状でまだ放映権の有効活用などNPBを改革して儲けることができないならば、もうNPBは衰退の一歩となるでしょう。
特に改革に後ろ向きな球団は、すぐに退場してもらうようにしなければ、差は開く一方です。
やる気のある球団だけで新リーグを設立して、新しいチームを新設し、拡大路線に向かったほうが早いかもしれません。
小久保監督の申告三振提案は、思い切りの皮肉ですが、それが響かないようでは、時代に取り残されたオールドメディアと相似形で、大きな問題になってから慌てるのは、ファンとしてはやめてほしいと思います。
いや実は、むしろもう既にお大きな問題になっていると思うのですが・・・
テレビは佐々木朗希投手の契約や、大谷翔平選手の奥さんの話題より、大事なことがもっとあると思うのですが、いつからかタブロイド紙と同じスタンスになってしまっていて、悲しいこと此処に極まれりといった現状でしょうか。
テレビ局もNPBも外部の力を借りなければ、改革できないというのは、外圧がなければ変われない日本の社会と相似形と言えるのかもしれません。