原監督の求める強い選手 疑問が残る管理の日本プロ野球 時代遅れ

原監督は強い選手を求めます。精神的な強さはもちろん、肉体的な強さを求めます。しかし、その考え方が今の選手達にマッチしているかは疑問が残ります。特に常に打者目線である原監督に、投手のことは理解できない部分がかなり多いと思います。

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原監督の求める強い選手

原監督は肉体的に強い選手を重用します。時には怪我で休んでいる選手は、野球選手ではないなどという趣旨の発言をしたりします。言っていることにある程度の理解は出来ますが、言い過ぎの面もあると思います。

怪我に強い選手という表現がよくされますが、怪我で休むことを否定するような発言は、今の時代にはどうなのでしょうか?。

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自分たちの時代の考えを捨てきれない指導者

原監督の現役時代と今は、全く状況が違います。原監督に限らず一時代前の人間は、”俺たちの若い頃は”という枕詞をよく口にします。そういった人たちは、今の時代の選手たちに対しては、そういうアプローチでは指導できないと口にしながら、心の中では自分たちの時代のやり方を捨てきれないでいる可能性が強く残ります。

結果的に何が起こるかといえば、コミュニケーションが取れなくなるということです。お互いに心の底では違う概念を持っているために、本音の部分で理解し合うことが出来ません。指導者と選手の信頼関係が根底で出来なければ、指導が効果的に行われる可能性は低くなるでしょう。そういった指導者は同じ指導をしていても、時代の波に取り残されて選手から信頼されない指導者になってしまいます。

怪我や疲労に対する考え方はパワハラ

また、怪我をして出場を諦める選手を低評価し、怪我を抱えながらも出場を続ける選手を高評価する傾向が一部のプロ野球の指導者に見られると思います。選手に奮起を促すために、あえてそういった趣旨のコメントもしているのかもしれません。もし一般社会でそういった発言を現在していれば、パワハラだと思います。病気や怪我で休みを取る人間に対して直接コメントをしなくても、反対側の怪我や病気にもかかわらず出勤する人を褒め称えれば、それは間接的なパワハラです。一般社会ではそんな指導者は、すぐに摘発されます。そして会社はそういった事案が発生しないように、厳しく指導者に教育を施し、厳しい指導も行っています。一般社会と較べてそういった面でかなり遅れているスポーツ界ですが、一部のプロ野球の首脳陣のコメントを見ていると、特にプロ野球界は、遅れているのではないでしょうか。

疲労に関しても、連投を厭わない投手を事さらにメディアに対して持ち上げるコメントを出している指導者をよく見ますが、疲労を理由に登板を回避することを間接的に批判していることとなり、一般社会ではよく思われません。また、今どき休日出勤を褒め称える管理職は、殆ど見かけません。

トレーナーの判断が絶対のMLB

日本のプロ野球の組織が遅れている大きな原因は、権限の集中です。

日本の一般社会では、組織の中で一部の人間に権限集中を防ぐ組織づくりが、当たり前の様にされています。営業と管理部門は目指す最終目標は同じですが、そのアプローチの仕方が正反対です。そのため組織の中で権限が一部門に集中せずに、牽制機能が働きます。

MLBではトレーナーが怪我や故障を評価して、出場できないと判断すれば、本人や首脳陣がなんと発言しても出場できません。

NFLでは脳震盪に際しては規定の手続きを行い、それに合格しなければ、本人や首脳陣の意思とは違うところで、出場停止となります。

ところが日本のプロ野球は、本人と首脳陣が合意すれば、どんな怪我をしていても出場できます。こんなに遅れた組織は、アメリカでは有りえません。

こういった時代遅れの組織管理が、無意識のパワハラを生み出すことになります。

投手と野手の違い

原監督は打者出身の監督なので、投手のことがよく理解できないはずです。にも関わらず権限が集中しているために、投手の起用を自由に行う裁量を持っています。第3次の原政権になって投手のチーフコーチは3人目で、宮本氏も桑田氏も1軍から異動しています。原監督の目からは前任二人が物足りなかったから、異動があったのではないでしょうか。

しかし、打者出身の監督が投手のことを理解するのは、かなり難しいでしょう。あの落合博満さんでさえ、投手のことはわからないので一切口を出したことがないとコメントしています。

そもそも投手は打者と違って、怪我を抱えながら投げ続けることは出来ません。怪我に強い投手なんて言葉は聞いたことがなく、いかに故障を発生させないようにコンディションを整えるかが、非常に重要な一軍投手コーチの役割となるそうです。

投手の場合、故障を抱えながら登板して良いパフォーマンスを続けることは非常に難しく、そのあたりは打者とは違います。

故障を抱えながらもある程度のパフォーマンスを期待できる野手と、ベストに近いコンディションが要求される投手とは、その判断基準が大きく違うはずです。

新しい時代の指導者

時代の流れは急速に加速しています。アマチュア野球の指導者も、ここ数年で大きく入れ替わりました。故障や疲労に関する考え方も、大きく進歩しています。

数年前に佐々木朗希投手が予選の決勝で投げなかったことについて、様々な議論が交わされました。そして未だにプロ野球の指導者の中では、答えが出ていないようです。

合理的な判断よりも、情緒的な判断が勝ってしまうのが今の日本のスポーツ界のようです。

合理主義のアメリカ

合理的に判断するアメリカでの一例をあげます。

大学日本一を決めるアメリカンフットボールの最終戦等大切なゲームで、既にドラフト1位の評価が決まっている選手は、怪我のリスクを避けるため、欠場することが普通に周囲からも理解されます。むしろ控えの選手たちは、全米に放送されるゲームにおいて活躍できれば、自らの評価が上がるので、評価の定まった選手の欠場を歓迎するムードさえあります。怪我のリスクを懸念しながらプレーすることになれば、逆の意味でチームにはいい影響を与えません。日本ではドラフトで既に指名された社会人投手が、最後の恩返しとばかりに連投をいとわず投げることがありますが、アメリカでは考えられないことでしょう。

なんでもアメリカに倣えばいいとは思いませんが、故障や疲労に関しては、日本はもう少し理解を深めたほうが良いと思います。

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