日本が経済成長できない理由 リスク取らない日本社会 コロナ禍

日本の低成長が問題視され、政府の経済政策や規制緩和、企業の成長力の欠如が大きな要因としてあげられています。もちろんこれらは、数ある要因の中の1つであることは、間違いないと思います。しかし、根本的には政府や企業の責任以外の要因が、大きいのではないかと考えています。それは日本社会の特性、もっと言ってしまえば日本人の国民性に有るのではないでしょうか。

コロナ対応にみる日本人の臆病さ

世界中でコロナから経済が回復し、過熱気味になっている中で、日本だけが取り残されて、コロナ前まで回復できません。大部分の日本人は既に気がついていると思いますが、リスクを極端に過大視し、声を大にしてリスクを取る事の責任の重大さを発信する人達によって、日本の社会全体が、リスクを取ることを極端に嫌う様になってしまっています。

普通に考えれば、リスクを取らずにただ努力している人は、適切にリスク判断をして、適正なリスクを取って果敢に攻める人たちに、リターンで勝てるわけがないのは当たり前の話です。

世界中でコロナのリスクを判断して、リスクを取ることに踏切って経済活動を始めている結果が、世界中で経済が加熱して利上げが必要な現在の経済状況になっています。逆に日本はリスク評価をすることもせずに、リスクがなくなるまでじっと待っているので、全くリターンが増えません。

失われた30年の真実

日本人の大部分は足元を見て、毎日努力をしています。これは世界中でも同じ事です。リスクの判断ができない人や、リスクを怖がる人は、本当は潜在的に有る現状のリスクを見ないようにして、変化することのリスクを忌避します。毎日愚直にコツコツと努力することで、報われようとします。しかしそれは、リスクを取る努力をしないでリターンを求める消極的な行為であり、経済活動の中で最も成長の遅い階層になることは、当たり前の話です。リスクを取る努力もせずに格差是正を求めることの理不尽さを、もう少し自覚しなければ、日本はどんどん取り残されていきます。

日本人の中にもリスクを適切にとって前に進もうとする人はいますが、その割合が極端に少なく、リーダーとなるべき人材は欧米社会よりもその才能を発揮しにくい社会になっています。

日本の企業に内部留保が多い理由

経営者に新規事業や新規の投資を適切に行うことができる人材がいないので、企業の内部留保が積み上がっていくことになります。欧米の企業では、内部留保をいたずらに積み上げていけば株主より無能の烙印を押されて、経営陣から失脚することになります。そのため企業は常に成長を求めて投資を続けます。日本の企業が成長できないのは、日本の社会がリスクを取ることを避けて、じっと努力を続ける事を美徳とする社会だからではないでしょうか。企業の中でも大きな失敗を犯して出世レースから脱落するよりも、リスクを取らずにコツコツと努力してきた人材を経営者に取り立てる傾向が強いので、成長力に乏しい企業が多くなってしまうのでしょう。

しかしコツコツと努力する人は労働者であっても、それだけでは経営者にはなれません。

成功する人よりも失敗する人をことさらに取り上げる社会

日本の社会は才覚溢れて成功するよりも、コツコツと努力していつまでも現役で働く人を美徳として取り上げる傾向が強いと思います。コツコツと努力することはもちろん尊いことですが、それだけではリスクを取って成長した人と格差が広がるのは当たり前のことです。その事を自覚せずに格差是正を叫ぶのは、どこか辻褄が合わないと思います。

日本人の教育を考える

このデフレ社会は極端な話、国民性だと思います。それは資本主義国家でありながら、資本主義の中で生きていくことを教えていない、今の教育制度にも問題が有ると思います。ピケティさんが言うまでもなく、資本主義社会ではr>gです。この事は避けて通れない問題でありながら、日本の学校教育では教えてくれませんでした。むしろ株を持つことは危険なことで、あまり推奨されていなかったと言っていいでしょう。そんな社会の雰囲気が未だにバブルを超えられず、成長できない日本社会の頭を押さえつけていると言って良いのではないでしょうか。

リスクを取ることを嫌がる人は、とどまることのリスクが見えていない

経済活動然り、安全保障然り。日本人は現状を変えることを極端に嫌がります。じっとしていることで刻々と事態は悪化しているのに、目を背けてリスクが通り過ぎてくれるのを待っているようです。しかし欧米社会ではリスク判断を適切にして、果敢に現状を変えていきます。むしろタイミングを外して変えなかったことを、批判する風潮が日本よりもあります。ゼロコロナを目指す中国と日本は、似たところがあるのかもしれません。ただ中国と日本が違うのは、日本の政府や企業には、リーダーシップが不足していることではないでしょうか。世論の大部分が合意するまで動かないならば、誰でもリーダーになれます。一般人よりも遥かに情報を持った政府が、一般人よりも早く適切に判断するから、リーダーの価値があるのであって、今の調整型ならば誰でもできる判断ではないでしょうか。

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