1980年度生まれは松坂世代と言われ、数々の名プレイヤーが存在した。
杉内俊哉、和田毅、藤川球児、村田修一など例を上げれば切りがないくらいの、素晴らしい選手を排出した年度だ。何々世代とプロ野球で言われるようになったのも、松坂世代が最初だったかもしれない。
松坂世代はずっと松坂投手が主役
松坂世代のあとに、ハンカチ世代、清宮世代があらわれた。ハンカチは斎藤佑樹投手が甲子園のマウンドでハンカチで汗を拭ったことから命名され、清宮世代は高校通算本塁打の記録を更新した清宮幸太郎選手から命名されている。いずれも甲子園を湧かした選手が、世代を代表とする選手として認知されているということだ。しかしハンカチ世代はいつしか主役が変わり、マー君世代などとも呼ばれることがあるようだ。清宮選手も現時点では、村上宗隆選手に遅れを取る格好になっている。
高校時代に脚光を浴びても、そのままプロ野球で活躍することは難しい。
毎年甲子園のスターがプロ野球の門を叩くが、世代のトップがそのまま走り続けることは難しい。
松坂世代では和田毅投手が唯一人現役を続けているが、日米通算147勝で松坂投手の170勝には及ばない。甲子園のスターから現在に至るまで、世代のトップとして君臨し続けた松坂投手は、本当に稀有な存在だ。
甲子園決勝戦でのノーヒット・ノーラン
史上2人目の決勝戦でのノーヒット・ノーランは大変な偉業だ。そして準々決勝で17回を投げぬき、準決勝で右腕のテーピングを剥ぎ取ってリリーフに立ち、逆転劇を呼び込んだ姿は、漫画の世界の主人公のようだった。人気も実力も兼ね備えた本当のスターだった。その頃人気があった漫画の主人公に、何処かフォームも似ていた気がしたものだ。
プロ野球での活躍
高卒2年目の投手が活躍することは、最近の野球ではとても難しい。なにより体ができあがっていないので体力が続かない。オープン戦で顔見せ登板をすることはあっても、その後失速していくのが普通だ。しかし松坂投手は違った。横浜高校で豊富な練習をこなしていた自信もあり、プロの連戦に耐えうる体力が既に身についていた。
1年目のデビュー戦で8回2失点で初勝利を挙げ、その後のイチロー選手との大戦後「自信が確信に変わりました。」と名言を残したのは有名だ。1年目から16勝を挙げて最多勝、新人王、ベストナイン(新人での獲得は史上初)を獲得するなど、大活躍であった。
MLBでの怪我
MLBに舞台を移しても活躍は続いたが、その後怪我に悩まされることとなった。
2008年に18勝を挙げた後は、思うような活躍ができずにいたが、依然として応援するファンは多かった。帰国後も復活を目指して、数球団を渡り歩いたが、最後は西武で最後を決断することとなった。松坂投手は世代のトップの選手のまま、引退を迎えることとなった。
苦しんだ晩年とこれから
最近は選手の引き際で考えさせられることが多い。
ボロボロになるまで続ける選手や、余力のあるうちに引退する選手などそれぞれだ。
一般的に指導者としての道を志す選手は、ポストを用意されて引退していく選手が多いと感じる。
現役時代にクリーンなイメージを貫き通した松坂選手が、今後どのような軌跡を描いていくのかとても興味がある。
お疲れさまでした。