高校球児を襲うコロナ禍と大人たちの無策

春夏甲子園連覇を狙う東海大相模が、神奈川大会の出場を辞退した。登録メンバー17人のコロナウイルス陽性が判明し、野球部の活動が禁止となったところでの結果だ。

今季限りで勇退の決まっていた門馬監督は、「本校野球部で新型コロナウイルス感染によるクラスターを発生させてしまいましたこと深くお詫び申し上げます。」などとコメントを発表して謝罪した。石川県大会を辞退した強豪の星稜高校に続く、悲劇となってしまった。

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若者の行動制限はできるのか

ルールを決める大人たちと、今回犠牲となった生徒たちの立場の違いが招いた結果だと考える。

そもそも年齢を重ねた大人たちと、未成年や結婚前の若者たちを同じ観点から縛るのは無理がある。1年以上も行動制限を続けている首都圏の学生たちや若者は、大人たちの決めたルールによってその貴重な時間を無駄にしてしまっている。ルールを決める政治家と犠牲になった若者の考えが一致することはないが、大人たちが若者に思いやりを持ち、ルールを決める必要がある。そもそも若者たちが他人との濃厚接触を1年以上も避けることが、どれだけ彼らの貴重な時間を無駄にしてしまっているのか。たとえば恋人同士が1年以上も、逢うことを抑制しなければならないとしたら、どれだけ彼らの時間を無駄にすることになるのか。大人と同じ物差しで彼らの貴重な時間を、簡単に奪って良いものなのか。今回の東海大相模のクラスター発生の原因は明らかにされてはいないが、そんなものはあまり問題ではなく、明らかにするべきではない。

たとえば若者が異性や友人と濃厚接触をして、その結果陽性となっても彼らを責められるだろうか。コロナのために若者が貴重な人生の出会いを失うとしたら、若者にとってとてつもない損失だ。

若者は重症化しない

東洋経済オンラインの7月24日の発表では、10代の感染者は64,693人。そのうち死亡者は0名。重傷者も0名だ。大人たちはこの事実をどう考えるべきなのか。高齢者への感染リスクが重大であった時期とは違い、重症化しやすい高齢者へのワクチン接種は進んでいる。

全国の感染者は増加したが、重傷者と死亡者の人数は増えていない。ワクチンの効果により間違いなくコロナのリスクは低減している。東海大相模や星稜の辞退はルールだから仕方がないと、若者たちにただ強いればいいのか?

重症化しない若者たちにとって、コロナは何なのか?

大人たちが知恵を絞って、若者たちのためのルールを作らなければならないのではないでしょうか?

ルールを変えられない大人たち

この事態の変化に合わせて、どうしてルールを機敏に改定することができないのだろうか。ルールを変えることによる批判を、大人が避けているからだとしか思えない。

日本はルールを守ることを重んじる。それ自体は素晴らしいことだ。しかしルールを実情に合わせて変えていくことが、とても苦手な国民だ。ルール自体が陳腐化し実情にあわせて改定することが、非常に遅い。それは直接損失を被る人々が、ルール作りに参加できない社会だからだと考える。欧米のことを持ち上げる必要はないが、日本は国際ルールにも従うばかりで、ルール作りに参加できない。数々のスポーツがルールを柔軟に変えていくが、日本はルール作りに参加できるケースが少ない。

サラリーマン社会でもルールに従うことばかり求めて、ルールを改定することを求めることが少ない。

今回のコロナ対応もルールを作ることを避けて、対処療法的に対応していると思えてならない。そして作ってしまったルールに不備があっても、それを機敏に改正することができない。

コロナだけでは終わらない

今後コロナが収束しても、同じようなウイルスが流行することは十分に考えられる。ワクチンさえ行き渡ってしまえば、今回の騒動は沈静化すると考えて、実情にあったルール作りをしないことは、大人たちの不作為による罪だと考える。

若者たちの貴重な時間を奪わないためのルール作りを、大人たちが若者たちの立場に立ってやらなければならない。

実情に合わせたルール作りを大人がして、同じような犠牲者を出さない社会であって欲しいですね。若者を大人の知恵で救いたい。

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