4月10日の広島対巨人戦、6回表の巨人の攻撃で大城、重信、吉川がわずか5球で攻撃を終えた。相手投手が90球を超えて、苦しい場面である。
観ているファンもがっかりしたと思う。
守っている投手も野手も、がっかりしたのではないか。事実7回、8回と三者凡退を続けて完全に流れが広島に行ってしまった。
テンポの良い投手は援護点が多いというのは、よく言われることだが、6回の巨人は自らそのテンポを作り上げて献上したのである。
誰もが自分のバッティングをしたいのであろう。初球から打つことを否定するわけではないが、時と場合がある。そのあたりを指導できないのであれば、どこかに問題があるのではないか。
最近の日本社会は数字で個人評価される時代だ。サラリーマンもチームプレーよりも個人のパフォーマンスが、給料や昇進に直結する事が以前より多くなっている。
そのためか個人プレーを大切にする風潮が、広がっている。
幼稚園の演劇で桃太郎が10人いたという記事を観たことがある。個人を大切にする事は大切なことだ。誰もが主人公を目指すのは、悪いことではない。しかし野球というチームプレーで、誰もが4番バッターのようなバッティングをして良いものだろうか。しかも4番の実力がないのに、である。
「悔いを残したくないので、思い切り楽しみたいです。」
個人競技ではそれがある程度は、許される。しかし、野球というチームスポーツでそれはどうなんだろうか?
原監督は個人軍はいらないと、就任の時に語っていたと思う。
今日の打線は、個人軍そのものではないのか。
話はそれるが、サッカーの試合で敗戦の理由を聞かれて
「自分たちのサッカーができなかった。」
とすることがある。相手に自分たちのサッカーをさせたら負けである。当然相手に自由にやらせないのがサッカーなので、自分たちのサッカーができなかったのは完全に力負けで、敗戦の理由は完全に力負けを認めたということである。そこをあえて聞くインタビュアーに問題がある。色々と周囲に気を配ったら、そう言うしか無いのである。(特定の個人を責めるわけにもいかないし、環境のせいにしたら格好悪い。)
一見自由にやっているように見えるサッカーは、実は約束事が結構あって、自己犠牲を求められることが多い。キーパーなどは攻めることはなく、守り一辺倒でストレスの貯まるポジションだと、個人的には思う。
野球におけるチームプレーって何なんだろうか。守備の時間が長いチームは、精神的にきつい。投手だってマウンドに長くいたいはずはない。攻撃の時間を長く保つことは、球技の鉄則だ。カウンター狙いは精神的にきついし、ある意味弱者の戦法であるケースが多い。
何の球技でも攻めきった勝ちが、一番体力的に楽である。
自分のバッティングをしたいのはわかるが、チームが勝つために自分の初球打ちは貢献できる確率が高いのか?チームとして個人評価をして、指示をしてあげなければいけないのではないか。根拠があってあの場面で、初球からいくように指示があったのであれば、それは納得がいくのである。
こういうところを、インタビュアーには聞いてほしいのである。